朝とは

※日記とはドラえもんがつけるソレとは違って、多くの場合そうであるように、オチが無い。

嫌な物で、否応なしに世の中にはどうしようもなくスイーツ(笑)がはびこっている事を再認識させられてしまう。
さすがだ。ゲイノウジンも、ノゾミがカラという名前もつけるはずだ(それも読みからしても本来のものとは性別が逆
あ。キリ〇ト教徒でしたか。
そのうち、別の唯一神のほうにでもスイーツ(笑)が流れたら、ふせいん君が増えるかもな。あのあたりのファッション誌が何回か表紙に取り上げたらすぐだろ。
・・・。あながち予想が外れなさそうで怖いな。
あ、スイーツ(笑)には安易に股を広げられないから無理か。

学生の延長では、その程度でよいだろうな、と、思う。
しかし、次元が低い、と言うのなら、それとは逆に次元が高い状態はどのような状況を指すのかと問われれば、回答できなければならないが。




さてと。

やれやれ

これだから朝は嫌なのだ。
うちの子はやればできる


やればできる、は、無能を表す。
やるかやらないかの時点からそれは明白で、それを喋る話の中にも知性の欠片すら感じられぬ。
会話全てがそうしたものである必要はないが、少なくとも自身の子供についての「やれば出来る発言」は危険だろう。

昨日の日経夕刊の欄外に

能率手帳を製造している企業のトップが、見返す事は考える事とかいう内容のキャッチで、書籍の広告が掲載されていた。


少なくともそれは同義ではなく、言わんとしている事はわからなくもないが経過のみを釣り文句にしてもな、と。
手帳は覚えとして利用される事の多い記録媒体なので、その内容にもよるが、それを見返してみて、
「いつまで我々の前に立ちはだかるつもりだ、ノストラダムス
とか言う人は、いないわけで。(関連するような事が書いてあるなら別だが)

経験とそれに纏わる感情や結果、改善点など諸々の事柄を思い返して、次回があるのならば次回、ないのならば今後はどうあるべきかを→「考える」



結局未来に〜とか書いてあって、フランクリンプランナーかよ、と。


未来予想図って、ことごとく外れるから予想図なんだよね


とか言う事を書いていけば、私も10代やスイーツ(笑)どもに「ウケる」文章を書けるだろうか。


こっちから願い下げだが。