その表現はあながち間違いではないが限り無く実際にはありえない

※ギアスネタは帰宅後に気合いを入れて書きます。

アディダスのCM。
「本当に好きな事やったら、世界一を手にする事だって出来んねんぞ。」


検索ボタンばかり出て来るようになった、昨今のCMには反吐が出る思いで一杯ですが、個人的に「監督にはなれない」人だからそのあたりはいいかなあ、と思ってます。
珍しく、真っ当な作りのCMなのだが、こんなCMに惑わされるくらいに気分の落ち込みは激しいらしい。

購買層大量獲得の狙い

特に我々バブル絶頂期前に生まれた人間、つまり80年代前半や70年代後半に生まれた人間は、幼少期によく大人たちから
「夢をもって」
とか言われていた気がする。
まあ、私の記憶の中だけだろうが。

向上心を持つ事に直接的に繋がるはず、という目論見があったのか、それとも単に夢という単語を使いたかっただけなのかそれはよくわからないのだが。
少なくともゆとり世代が考えているくらいに、夢というのは軽い意味合いではない。

特に信じていた、自分自身の技能を発揮する事も出来ずにすべてが閉ざされた場合はどうすればいいのか。

現在社会に出ている人間で、挫折を味わった事のない人間はいないはずで、全てのフィールドで誰しも挫折は感じたことがあるはずで。
それも、自分自身の能力の足りなさもあったかもしれないが、そこから生まれた挫折というだけではなく、不当評価の場合もある。
必ず感じた事があるはずで。
感じた事がない、という人間がいるかもしれないが、常に上だけを見ていれば挫折は常に付いて回る事になる。
はずである。
言いたい事を汲み取ってください。

結果として

あのキャッチフレーズは視聴者に対して極めて効果的に訴え掛け、脳裏にCMの内容を刻み付ける事になる。
CMだけでなく、大多数に対して発信され、それが見るものに覚えてもらおうとする目的で作成されるあらゆる形態のドキュメントで言える事だが、大切なのは、
今更言う事ではないのだが、例えば強烈なメッセージ性をもち、見たものの経験とリンクするものであったり、またはその逆で、メッセージ性はないものの印象に残るものであったりする事など。


たーらこー
どうする、俺、どうすんのよ!


時間がないから

このへんで