ああ、分かりにくい表現でした

補遺になるので、以下続きを読む
相変わらずチラシの裏ですけど。

まず、〜グリム

本来、よもつへぐい(あえてひらがなにしているのは、漢字が出せないわけではなく、一般的な俗語としての書き方をすると黄泉戸喫になる。のだが、実際にはそれは概念的なものにすぎないのだが、そのため憶測が増えてしまう。ために、ひらがなである。)というのは、古事記の初頭部分での人類(ではなく神だが)初の命をかけた盛大なる鬼ゴッコの際のネタ。
しかし、いかんせんいただけないのは、イザナミ、、、命をつけるか迷ったがまあそれはそうとして、他世界(国であってもなんでもよいのだが)の食い物を口にした時点で、そちらの世界には戻る事が出来ない、という発言をした彼女(このあたりでもまた突っ込みをいれたくなるがそれはこの際置いておいて)の言葉が何を指しているのか、


まあ、女性だから、ではなく日本人的な他人を気遣う言い方であるのかどうなのか、また、それ以前に古事記自体、人の手によって作成されたものであることを前提にして読まなければならない。
神や仏がいて、実際に記録や仏経典にあるようなことをやってのけたとか本気で言う閲覧者は、少なくともここを見ている人間にはいないはずなので、そこのところは全く問題ないはずだが。



あと一つ、遠野 物語(実際現代の遠野地方でも民話が数多く残されている地域であるのだが)の中に出て来るマヨイガの記述には、食料(食事の描写)が出て来る。
ここでも記述と書いたが、実際には柳田による伝聞であったり、またバイアスがかかるなどの事は置いておいて。
マヨイガ内の豪華でデカい屋敷の中には家人は一人も居ない、見当たらないのにもかかわらず、何故か囲炉裏(だったか)には火が入り、食事が用意され、その食事は温かかく見えた・・・んだったっけ。



でも、味に関する描写はなかったような気がする。
また家の中から遠野〜をひっぱり出さないとよく覚えていないのでわからないのだが。



そこで、もしもその食料を口にして居た場合は、この文章のソースを語る人間は戻ってこれたのだろうか。
味の描写の出来る人間がいなかった?のなら面白いですね。



まあ、そういうあたりの事をいろいろ考えていたのです。

会議室

えろげ業界のちょっといい話。
携帯は、いつも留守電なのに
らぐな(勿論ひかわさんもやっていたあのMMORPG)に入ると
会えるシナリオライターがいる。

総勢20人くらいがだべってるSSが私のフォトライフにありますので、見て見たらどうでしょう。撮影した時間帯も要チェック。(題名は黄金期、http://f.hatena.ne.jp/KeiH/)




それも締切り前とか。(
「第二の人生」上の貸し会議室の話も昨日のwbsで出て居たので、それを思い出して大爆笑していました。


仮想空間を現実にフィードバックは実験段階

人間は何だかんだ言って体の感覚を大事にするので、くだらない三次元や感情的なものに固執する、ハードウェアとしては最低の拡張性・進化性をもった生き物なのだが、彼らの常識というものを重点に置くとすると、作り出された別世界のフィールドからの応答性なしでは、そのもう一つの世界は古い時代の概念による仮想現実という言葉の枠を出る事がない。

とても分かりやすく、簡単に言うと、
現段階では仮想空間は仮想空間にすぎず、現実の空間での人間の五感や各個人のセンスのようなものが介在する事によって生まれる「体感」は仮想空間上ではいまだに味わうことが出来ないし、出来るものであっても、実際の物体の価格を遥かに超える値段で用意が可能なだけだろう。

身近なところでいうと、大型ドライブゲーム。大掛かりだが、なるべく近付けたものは、遊園地などに設置されている近未来を舞台に設定したシネマアトラクションを考えてもらえばいい。
ドライブゲームであれば、横や縦へのGのかかり具合を実際に操作して居る人間にまで返すのは不可能。逆にシネマアトラクションの程になれば、金銭的な採算がついてまわるが、なんとかして疑似体験は可能だ。
ここで重要なのは、現在コンセプトカーということで利用するハードルは高くても車という、現実に存在しうるものの、体感のレベルが限り無く低い仮想空間による、単にカクカクした車の形をしたものを動かす、というよりは



例のアップデート機能が付属するはずの、高いばかりの次世代PSで発売されるグランツーリスモに、その車をいれる、とか。


車の購入意欲を書き立てられるものは個人によって異なるのだが、最終的には人間が、購入した人間が運転するしないは別として、「乗って移動するもの」というのには変わらないのだ。
それはコンセプトカーだから一般には〜、とかいう事は関係が無い。


まあ、これくらいで。